プロフィール

うみっちママ

Author:うみっちママ
yuka(お母さん)=マーチング大好き!カラーガードなしでは生きていけないほど(笑)パン作り&ご飯作りが大好き! でも片付け嫌い(^^;)
典型的なB型です(*^_^*)自己中かなぁ??お腹がすくと機嫌が悪くなるらしい・・・。

お父さん=ちょっと小太り&背も低め。O型なのに、なんだかこまかくてめんどくさい(^^;)でも頼りになるお父さん!!
肉好きだけど、yukaサンのおかげで魚&和食好きにされつつある毎日(笑)
バカが付くほどの車好き(*^_^*)

初海(うみ)=2011年5月 3544グラム 54センチ 元気な長男が生まれました!! 通称 うみっち です(*^_^*)
ミルク、卵にクラス3のアレルギー持ちです。

3月の震災で家、車、思い出の品々、たくさん失いましたが、命だけは助かった!震災を乗り越え長男くんも生まれたし(*^_^*)楽しく明るく生活していく様子を日記に残したいと思います(^^)/



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文集記事!

原文そのまま載せてみます


 私は、去年の春から旦那さんの仕事の都合で、雄勝町のとある漁村で暮らし始めました。
 雄勝町は、自然も豊かで、天気のいい日はコバルトブルーの海面がキラキラ輝き、海産物も豊富で、私も、初めてのホタテやウニの殻むきを手伝わせてもらいながら、親切なご近所さんに囲まれて生活を送っていました。

 こんな素晴らしい環境の中、私は第1子を身籠もり、あの日3月11日を迎えるとき、妊娠8ヶ月を目前にしてお腹が大きく目立ち始めた頃でした。

 あの日あの時、旦那さんは仕事で留守、私は友達の誕生日にプレゼントするお菓子を焼いているときでした。

 地震がきた時、カタっと揺れたかなと思うとすぐに「ガタガタッ」と全体が揺さぶられ、テーブルの上のケーキは崩れクッキーが床にばらまかれたかと思うと、食器棚の中ではお皿やコップがなだれ落ち、私はこの尋常ではない揺れの中、どうすることもできずただ倒れそうなテレビをおさえていたのです。

 少しの間を置いて、2回の大きな揺れ。このまま永遠に止まらないんじゃないかと思うほどに大きく長く感じられました。
 地震の最中、防災無線からは「津波」を報じしきりに避難を呼びかけていますが、そんなさなかにも旦那の職場から電話がかかってくるなど対応を余儀なくされ、揺れが収まってやっと、足の踏み場もない家の中からとりあえず外に出ることができました。

 外に出るとお隣さんなどは既に高台に避難しており、家の前の防潮堤をしめる消防団の人から「何やってる、早く逃げろ」と促され、私は大きなお腹を抱え、最低限の財布などが入ったバッグだけを持って、坂を上へと上りました。

 この時は、どうしていいかも分からず、また二日前の津波注意報の経験からたいしたことないんだろうと油断していたこともあり、すぐに帰れるものと安易に思っていたのでジャンバーも着ていませんでした。

 坂を上がって行くと、私を見つけたお隣さんが、親戚の家に案内し「寒いからここにいなさい」と言ってくれましたが、そのうちに防災無線から「10メートルの大津波」と警報が流れると、この家でも危ないとして、さらに高台の道路へと避難したのです。

 雪の降りしきる中で、海面が徐々にせり上がってくるのが見えました。
 静かにゆっくりと、そして猛烈な勢いで海面がせり上がり、すぐに防潮堤を越えてくるのが見えました。
 目の前で起きていることが現実の物とは思えず、映画のワンシーンを見ているようでした。

 その後は、誰も何も抗うこともできずに、お家や車、漁船が、ただ海に飲み込まれていく様子を見つめるしかできませんでした。
 バリバリバリと音を立てて壊れていく家、この音は耳から離れません。
 私は、悲しかったのか、怖かったのか、いつのまにか泣いていました。

 車で避難したご近所さんが気を遣って車内に招き入れてくれました。しきりに「お父さんは?」と聞かれましたが、この時旦那はどこでどうしているか全く分かりませんでした。
 後で、無事に会えたとき、隣の地区で住民の避難を手伝い、土砂崩れのためすぐには家に戻れない状況だったと聞かされました。

 津波は、何回も何回も押し寄せてきており夜になっても不気味に波が上がってきていました。
 暗くなってきて、高台に残ったお家にみんなで避難させていただきました。普通の民家なのに、30人くらいはいました。

 夜はみんなで雑魚寝です。みんな妊婦の私に気を遣って寒くないように布団を分けてくれたり優しくしてもらったのですが、この先どうなるのか、実家はどうなっているのか不安と心配で全然眠れませんでした。

 妊婦検診には3日ほど前に行ったばかりでしたが、それまで日中も元気にお腹を蹴飛ばして存在をしきりにアピールしていた我が子が、津波後、殆ど胎動を感じなくなり、生きているのか心配になりました。
 それでも、夜静かに横になったとき、僅かに動くのを感じ、小さなこの命も頑張ってくれているのを感じたのです。

 夜が明けて次の日、初めて高台から見下ろして、町ごと何もなくなっている情景を目の当たりにして声も出せませんでした。

 津波から2~3日、自衛隊の車両が来るまで町は孤立しており、避難していたみんなは、山水をくみに行ったり、缶詰や缶ジュースなどの食料を拾い集めてきて分け合い命をつなぎました。

 電気・水道・電話、も使えず交通路・連絡手段もない状況でしたが、ガスはプロパンガスだったので辛うじて火を使うことができました。

 妊婦で体も清潔に保たなければ行けない時期だったのですが、最初のうちはもちろんお風呂にも入れず。
 そのうちに薪で沸かしたお風呂に入れてもらえるようになったのですが、ドラム缶で黒く濁ったお湯でした。ばい菌などの感染症も心配でしたが、久しぶりのお風呂にありがたく汗を流しました。

 携帯電話も使えませんでしたので、実家の様子も分からず、結局、約2週間後に仙台の実家に戻るまで、状況は全く分からず心配や不安も募るばかり。

 仙台に帰る道すがら、町並みがあまりにも普通であることにギャップを感じ、とてもびっくりしました。
 仙台に帰っても、幸いにも私の実家は大きな被害はありませんでしたが、旦那さんの実家も津波で流出しており、流通が滞り食料の調達をするのにも寒い中何時間もスーパーに並んで買い物をしに行きました。

 このような経験を乗り越えながら、5月末、私たち夫婦に待望の長男が誕生しました。
 名前は初海(うみ)、我が家の希望です。これからすくすくと元気に育ってくれることを祈って。
 初めての我が子、海のように広く、優しい心を持って育ってね。うみ。


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